Who We Are /
シンプレクスグループの歴史
1997
日本の金融業界やIT業界に
インパクトを与えられる
最高のチームを作ろう。
創業者である金子は大学卒業後、アーサー・アンダーセン(現アクセンチュア)に入社。
その後、トレーディングツールを開発するシリコンバレーのスタートアップに参画し金融の面白さに目覚め、
当時世界最強の投資銀行と称されたソロモン・ブラザーズ・アジア証券(現シティグループ証券)に転職を果たします 。
金子がこれらの外資系企業で働いて感じたのは、日本チームのポテンシャルの高さです。
米国本社勤務も経験するなかで日本のチームは、ニューヨークやロンドン、シリコンバレーで活躍する金融やITのプロフェッショナル達と十分に競争できるという自信を深めました。しかし、グローバルな評価では、国としての日本は金融もITも二流であると揶揄されていました。その原因を突き詰めると、最終的には日本特有の企業経営や業界構造に行き着きます。
それならば、自ら起業して企業経営を行うことで、日本の金融業界やIT業界にインパクトを与えられる最高のチームを作ろう。そして最終的には、日本から世界にイノベーションを発信したい。
このような決意と信念のもとで1997年9月にシンプレクスは誕生しました。

2005
破竹の勢いで成長。
創業8年で東証一部上場へ。
1997年の創業以降、業界の常識を覆すビジネスモデル、他のIT企業とは異なる尖った戦略で成長を重ねることができました。
順調な成長の背景には、金融工学を理解したうえでトレーディングシステムを提案し構築できる企業が、日本国内にほとんど存在しなかったことが挙げられます。
シンプレクスはニッチな分野でトップを取ることができ、セールス部隊を組織することなく、大手金融機関のほとんどを顧客として獲得しました。セールス部隊を必要としなかった代わりに、プロジェクトマネジャーがユーザーと直接対峙し、彼らに刺さるソリューションを提供しました。このような事業活動の結果、2002年2月にJASDAQ市場、2005年9月に東証一部に上場を果たすなど、力強い成長を遂げました。

2010
業績停滞から方針転換。
そしてMBOへ。
しかし、2010年3月期を境に成長の踊り場を迎えることとなりました。
原因としては、大手金融機関向けのニッチな分野でのシステム構築が一巡したことがありましたが、より本質的には、当時シンプレクスが手掛ける案件は、他社にはできないニッチな分野の難しい案件というブランディングが強く浸透してしまったことで、活動範囲が限定的となっていたことが挙げられます。
また、事業環境としては、2008年のリーマンショックに端を発するリスク管理強化の流れを受けて、大手金融機関に向けてトレーディングやリスク管理を統合的に行えるワンプラットフォームを提供する必要性を感じていました。
そこで、現場の精鋭たちをプロジェクトから離脱させてセールス部隊を立ち上げ、プロアクティブなコンサルティングセールスを展開しました。ニッチな分野だけではなく、プラットフォーム全体にアプローチする戦略への大転換です。そのために、大手金融機関のキャピタルマーケット部門をターゲットに 、今後5年間のITロードマップ作成を無料で支援することからはじめました 。
そのITロードマップをもとに、数年後に稼働するプラットフォーム全体の構築を請け負う算段です。
現場の精鋭たちをプロジェクトから離脱させることから、当然、この間の業績停滞リスクを伴う施策でした。
当時は、東日本大震災等の影響もあり、日経平均株価も1万円を割る最安値水準。シンプレクスの株価も下落基調でした。株価水準を鑑み、業績停滞による株価の低下リスクを株主に負わせることはできないと判断し、2013年10月にMBOに至ります。
2021 第二創業期と再上場。
MBOの際に掲げたテーマが、既存事業のブレイクスルーと新規事業の立ち上げでした。
結果として 、MBO直後よりリスク管理強化のトレンド等の追い風の影響もあり、既存事業のブレイクスルーを果たすと共に、いくつかの新規事業についても軌道に乗せることができました。
シンプレクスのビジネスモデルの再現性の高さが新規事業でも証明されたという確信を持って、再上場を叶えたのが2021年9月。
今後もシンプレクスグループは次なる目標に向けて、邁進し続けます。

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